Mostly, this is diary.
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とにかく日本から離れたかった。
家族も特に両親の関係や母親の異常な部分が特に嫌だった。
無意識のいやがらせ。
彼女が愛情と呼ぶものは憎悪の間違いだった。
彼女は全く変わらない。
彼女にまつわる幼少-青年期の嫌な思い出。
そういったものをアメリカで吹き飛ばしたかった。

行けば自分が変われると思っていた。
少なくとも物の考え方や見方が変わる。
それなら一刻も早く行きたい、行くべきだと思っていた。

準備は1年前から始めていた。
入学手続きも必要書類もすべて自分で用意した。
当時、ちらほら出てきた留学手続き代行会社は一切使わなかった。
出国は1989年の4月を待たなかった。
3月7日が卒業式で月末にはもうアメリカはロサンゼルスに住み始めていた。

初めての海外。
空港に降り立って、パスポート代わりに雑誌を手渡して税関の手前でたしなめられた。

「アーナーター!」
黒人の縦にも横にも大きい空港職員が、チッチッチッと舌を鳴らす。
指もワイパーのように左右に動かして 『違うんだよ!』 を強調。

あ、なんだ? パスポートか。

空港から出てすぐに見たマクドナルドとセブンイレブン(多分、ガソリンスタンドに併設)に痛く感動して写真を撮った。
おお、本物だ。
早速日本に送った。

こんなもん送らなくて良いよ!
後に高校の時の友人にマクドナルドとセブンイレブンの写真を送ってヒンシュクをかった。

...だって本場でしょう?
少しは一緒に感動してよ

到着後、日もまだ高い時間帯だったので即学校へ行った。
ロシア系の女性がすぐに住む場所をその場で探してくれた。
しかも家主の迎えがあって、ホテルにただの1泊もしなくて済んだ。

LAの気候は明るく乾燥して穏やかで気持ちが良かった。
庭にはオレンジやレモンが実る。
虫かと思って目を凝らすと鳥がハチミツを吸いに来る。
ハミングバートが庭先に飛んでくる。
ここは楽園なんだ。

近所には赤いブーゲンビリアに彩られた門があった。
表札にはモハメド・アリとあった。
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